そのひ、そのときの、記し

驚くほどに文章をまとめられぬ人が、ただ思うままに吐き出したい言葉をひたすら並べたもの。

嵐 活動休止

 

 

titleにしたこの文字は、あたしの人生では絶対に無縁なものと思い込んでおりました。初めて目にしたつい一昨日までは。この世に絶対なんてないって、また改めて思い知った日でもありました。

 

 

 

その日は友達とお泊まりしてSixTONESを心ゆくまで観る予定で。ちょうど外に居るときで携帯なんて見てなくって、そしたらふと携帯を開いた友達が突然「待って」って言うから何事かと思って画面覗いたらそこには

 

“嵐が2020年で活動休止”

 

なんて書いてあって。え?って思って、よくわからんかったし頭で全く理解出来てなかったのに、なんか涙が溢れてきて。なにこれ?!ってなったのをぼんやりと覚えとる。

歩道の真ん中に居ったからちょっと端に寄って、公式のメッセージ読みに行ってみたらそれはもう想像してなかった言葉の羅列で、ただただ溢れる涙を拭うことしか出来んかった。袖がぐちゃぐちゃになったという余談。

 

そこから、いつも一緒に嵐を応援しとる友達と電話してまたさらに泣いて、気持ちを落ち着かせて。

 

 

そして、そのあとは何事もなかったかのように予定通りお泊まりして、ひたすらSixTONESを鑑賞した。P・A・R・A・D・O・X流れた的はつい固まったけど、ふつうにいつも通り、ただ楽しく6人を鑑賞して心が満たされた。

 

そうしてあたしの2019年1月27日は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年1月28日、朝。

 

発表後に初めて、嫌でも1人で何かを考えれてしまう瞬間が訪れて。シャワーを浴びながら、シャンプー中に目を閉じながら、「あぁ、あたし今泣いとるなぁ」って。まだちゃんと会見映像も見てなくて、コメントを読んだだけの状態やったけど、頭の中でぐるぐるして、涙がボロボロ出て。別に、何かの感情で頭がいっぱいやった訳でもなく、ただ“嵐が活動休止”という事実と、智くんのことをひたすら考えとった。

 

通勤中、全然嵐に関係ない曲を聴いても考えるのは嵐のことで、涙腺が緩んで。職場で皆さんからちょっと気を遣って頂きながら声をかけられて。

帰りも涙腺と戦いながらお家に着いて。

 

 

 

そこでようやく、あたしにとって嵐の活動休止と向き合える時間がきた訳でして。

 

 

最初こそ「映像見たら崩壊するから見れへん」とも思ったけど、冷静になったら何をどう考えても、嵐が直接からファンへ見せてくれる誠意を見やん選択肢は有り得んくて、公式の動画と会見映像を見て、彼等の言葉と想いをしっかり聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言ってしまうと、あたしは嵐が心から好きという想いだけがただただ強く残ったんですよね。

 

 

もちろん、心からさみしいよ、そりゃあ。

嵐はずっと走り続けて、ずっと輝き続けてくれると勝手に思い込んどったんやもん。いつか勢い衰える日が来たとしても、どんな時でもいつも5人で笑い合っとる姿が見れるんやと、本気で思い込んどったもん。

けど、解散も有り得た中で、この着地点にたどり着いてくれて、本当によかったと思った。嵐が、嵐の手で嵐を終わらる選択をせんかったことに、ただただ感謝したいなぁ、って。

 

 

色々考えたけど、この20年、特にこの10年は最前線を休まずにひたすら走り続けてくれたこと、ファンには想像してもしきれぬほどのたくさんのものを我慢して犠牲にして、ファンのために、ファンの前に立ち続けてくれたこと。それは、未来がどうであれ紛れもない事実であって。

そんな中で、初めて嵐から聞くわがままを受け入れやんなんていうわがまましたくないなって。

 

思いつきとかではなく、たくさんたくさん時間をかけて、完全な状態でファンに伝えてくれて。こんな時にまで最大級の愛をくれる嵐に私が出来ることって、2020年12月31日まで嵐と笑顔で楽しい思い出をひとつでも多く作ることと、2021年以降いつになるかわからんけど嵐がまた5人でファンの前に立ってくれる時に笑顔で「おかえり」って言うことくらいなんですよねぇ。なので、その日その時まで、どんな時間も大切にしたいし、うん。これらを胸に刻み込んで、これからもずっと嵐と生きていきたいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

…ってダラダラと書き綴ったけど、こうして文字にすると改めて客観的に見れたり、より強い意思として残るなぁと思ったので。

たまに、書いていこうかなと、思います。誰にむけるとかでもなく、自分に向けて完全自己満ブログとして(笑)